- 柳川は北原白秋の故郷として知られていますが、他にも多くの文人を輩出しています。安藤省庵は柳川の学問の祖と呼ばれた儒学者で、柳川の学問の礎を築いた人です。柳川藩士の家に生まれた省庵は、小学生の時にはすでに「論語」をすらすら読めるほどの子供でした。その才能に目をつけた初代柳川藩主立花宗茂公は、省庵を江戸で勉強させることに。省庵は「早く戦争のない平和な国を作らなければならない」という宗茂公の思いに応えるべく、寝る間も惜しんで一生懸命勉学に励みました。
- その後京都へ移り、さらに勉学に打ち込んだ省庵は、無理をするあまり重い病気にかかってしまい、長崎で治療を受けることに。その時中国から来日していた朱舜水に出会い、その学識の高さ、器の大きさに尊敬の念を抱いた省庵は弟子入りを申し出、自分自身は貧しい生活をしながらもそれを苦にせず、自分の給料の半分を差し出し、朱舜水の生活を支えたのでした。
- 80歳で亡くなりましたが、柳川4代藩主鑑任公まで仕え、藩の教育者として多くの人々を導きました。省庵が開いた塾は、その後藩校伝習館となりました。朱舜水から省庵に送られた3体の孔子像のうちの1体が、伝習館高校に安置されています。
- 旭町にある浄華寺には、安東省庵の墓があり、三忠苑として今も柳川の人々に親しまれています。
- 安東省庵の没後も、立花玉蘭、藤村作、北原白秋、木村緑平、長谷健、檀一雄と数々の文人が柳川から輩出されています。立花玉蘭はあまり知られていませんが、日本文学史において重要な人物。漢字文学は男性、ひらがな文学は女性という考えが根強かった江戸時代に、数少ない女性漢詩作家として活躍し、1768(明和元)年日本で2番目に漢詩集「中山詩稿(ちゅうざんしこう)」を出版しました。
- 現在の柳川市坂本町に生まれた藤村作は、大正、昭和時代の国文学者。東大で国文学を勉強し、近世文学において国文学会全体の発展のために尽力しました。井原西鶴の研究者としても業績を残し、また多数の著作を残しました。新外町には藤村作先生顕彰碑が建てられています。
- 柳川市沖端で生まれ育った北原白秋は、日本を代表する詩人、歌人として生涯で2万点以上もの作品を残しました。故郷柳川をこよなく愛した白秋は、叙情小曲集「思い出」や遺作となった「水の構図」など、柳川への思い詰まった多くの作品を残しました。柳川では白秋を偲び、命日11月2日を挟んだ前後3日間、約80槽のどんこ舟が一斉に水上パレードをする白秋祭や、1月25日には母校矢留小学校の生徒隊が鼓笛隊のパレードをする白秋生誕祭が行われます。
- 長谷健は、柳川市の現在の下宮永町に生まれました。子供のころから文章を書くのが得意で、小学校の先生になったあとも仕事の傍ら、小説家として活躍しました。「あさくさの子供」は芥川賞を受賞し、尊敬する詩人北原白秋の少年時代を描いた「からたちの花」は、のちに映画化され柳川の船遊びが全国に知られるきっかけとなる作品になりました。
- 木村緑平は、炭鉱医をしながら俳句を作った俳人です。現在の柳川市南浜武に生まれた緑平は、小さい時から小鳥が好きで、中学時代には俳句に興味を持ち、中学卒業後には、雑誌「層雲」に作品を投稿していました。医者となった後も炭鉱で働く人々や、スズメを題材にした俳句をたくさん作り「スズメの俳人」とも呼ばれました。
- 檀一雄は、柳川の生まれではないにもかかわらず、ふるさとは柳川というほど柳川を愛した小説家です。「火宅の人」や「リツ子、その愛」、「リツ子、その死」」などで知られる直木賞作家です。30年以上経った今でも、多くの人に慕われています。
- 水郷柳川に育ち、この地を愛した文人が多い柳川ですが、掘割沿いを歩くと、あちらこちらに句碑や歌碑、顕彰碑を見つけることができます。春の気持ち良い風と陽射しを浴びて、文学碑をめぐりながらの柳川散策はいかがですか。文人たちが作った詩や俳句の情景が見えてくるようです。
- 柳川のたった一つの公園に秋が来た。
- 古い懐月楼の三階へ
- で始まる「立秋」は、さびれゆく懐月楼を詠った詩。この詩碑は三柱神社の欄干橋のたもとにある松月文人館横にあります。北原白秋の「思い出」に収められている詩で、かつて全盛を迎えていた懐月楼も、明治末期には廃業し、時代とともに病院、料亭と形を変えて営業を続けていました。現在は、松月文人館としてこの場所ゆかりの文人たちの直筆の色紙や写真などが展示されています。
- その欄干橋から城掘水門を目指すと、二つ川の柳並木沿いにある白いなまこ壁が特徴的な柳川古文書館前にぽつんと立つ赤い石碑。
- 色にして 老木の柳 うちしだる 我が柳河の水の豊けさ
- 北原白秋の遺作となった「水の構図」に読まれた詩です。
- 城掘水門横には明治・昭和期を代表する俳人高浜虚子の石碑が。昭和30年に柳川を訪れた記念に建てられた石碑です。
- 日吉神社横の遊歩道沿いには、スズメの句が刻まれた木村緑平の石碑が。毎年10月には句碑祭が行われます。
- そこからちょっと歩くと、四角い石碑が見えてきます。豆腐が大好きだったことから、その形を模して作られた長谷健文学碑で「豆腐忌」とも呼ばれ、毎年行われる顕彰祭では、豆腐料理が振る舞われます。
- 沖端を目指して川下りコースに沿って遊歩道をさらに歩くと、3つ並んだ大きな石碑が見えてきます。有明海睦五郎の歌が刻まれた檀一雄文学碑です。毎年9月に行われる顕彰祭では赤ワインが献酒され、石碑はピンク色に染まります。
- 川下りの終点、沖端の周辺にも歌碑が点在しています。白秋詩碑苑には水の構図に収められている、柳川を懐かしむ心情を詠った「帰去来」が刻まれた石碑があります。
- 文学碑を巡ると、柳川を愛した文人たちの思いがひしひしと伝わってくるようです。
柳川おでかけWeb
表紙スライドショーの写真のご紹介
5月・皐月
祭りに花と楽しみ続く春の柳川です。
毎年5月3日から5日に開催される沖端水天宮の船舞台「三神丸」では子供たちによる伝統のお囃子が奉納されます/沖端水天宮は夜までその賑わいが続きます/柳川市役所本庁裏にある椛島菖蒲園の花菖蒲も見頃を迎えます/橋本町の干拓堤防を越えると干潮の干潟にはムツゴロウの姿が見え始めます/木村緑平文学碑の前で行われる顕彰祭の様子/掘割沿いの遊歩道に建つ檀一雄文学碑は3つ並んだ大きな石が特徴的です