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  •  日本各地で、現在につながる都市計画を行い、土木の神様と称される田中吉政は、関ヶ原の戦い後、筑後一国32万石を与えられ、柳川城に入城しました。吉政は、その規模を拡大し、五層の天守閣を建て、柳川城を居城とし、その周りに城掘を掘り、城下となる周辺の町にも水運や稲作のための用水路を整備しました。また、柳川城と久留米城を結ぶ別名田中道とも呼ばれる久留米柳川往還や、柳川城と福島城を結ぶ福島道、三池陣屋とを結ぶ三池街道を整備するなど陸路にも力を入れました。また、筑後川や矢部川の治水事業や有明海沿岸の干拓にも熱心に取り組みました。
  •  この吉政により整備された、柳川城を取り巻く掘割の形は、今も江戸時代の絵図とほぼ同じに残っており、現在は川下りコースと使用されその趣を感じることができます。
  •  また、久留米柳川往還や三池街道は、今も主要な幹線道路として多くの交通量を誇ります。町人や武士が住んでいた町には多くの小路があり、当時の雰囲気漂う町並みを見ながら、散策を楽しむことができます。



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  •  散策に気持ちの良い春の柳川に欠かせない「さげもんめぐり」。江戸時代、柳川藩の奥女中がたしなみ教養のひとつとして、着物のハギレを使い子どものおもちゃや琴爪入れを作ったことに始まり、それがいつしか形を変え、つるし雛として柳川で女の子が生まれると初節句に雛壇の両側に1対のさげもんを飾るようになりました。今でもその風習は受け継がれ、雛祭りの時期になると、女児が生まれた家には、いくつものさげもんが部屋中を埋め尽くすように飾られ、近所の人びとはその家々を訪ねては見事なさげもんを鑑賞します。
  •  今では、2月11日から4月3日までの間、市内の店舗や神社、町のいたるところにさげもんが飾られ、人びとの目を楽しませています。
  •  そして、江戸時代から続く伝統のお祭りとして、春のゴールデンウィークに開かれる舟舞台の奉納が全国でも珍しい水天宮祭りや、夏に大和町中島で行われる中島祇園祭り、秋の三柱神社秋季大祭「おにぎえ」など、多くのお祭りが今でも脈々と受け継がれ行われています。

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  •  江戸時代に柳川城下として栄えた柳川には、実に多くの寺社仏閣があります。歴代の城主や藩主の祈禱寺や菩提寺として創建された寺院は、当時の面影を今に残しています。
  •  寛永年間(1624〜1643)に、二代柳川藩主立花忠茂公が、祖父の高橋昭運公の菩提寺としてに創建された天叟寺では、今でも毎年紹運公の供養とともに法要が行われています。柳川城の御用窯であった蒲池窯も所蔵されています。
  • また、鍛冶屋町交差点近くに位置する良清寺は、立花宗茂公の正室、誾千代姫の菩提寺で、宗茂公の寄付により元和7年に創建されました。
  •  細工町にある常光寺の本堂は、文化年間に建てられたもので、大火や洪水、台風などの被害を受けながらも、修築、改築を経て今も当時の建築様式を残す貴重なお寺です。
  •  東魚屋町にあり、国分学者で近世文学研究の第一人者藤村作のお墓がある本光寺は、江戸時代末期に建てられたと考えられる本堂があります。貴重な二階建ての二重門になっています。他にも多くのお寺が江戸時代に創建されており、由緒ある寺社をめぐる散策も柳川の楽しみ方のひとつに。


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柳川おでかけWeb
表紙スライドショーの写真のご紹介

2月・如月
一足早く、柳川では春のイベントが始まります。
日吉神社からスタートするおひな様始祭/さげもんめぐり期間の旧戸島家住宅は趣ある雛飾りが/江戸時代の情緒残る小路の風景は市内のあちこちで見られます/2月の中旬からはしばらくの間掘割の水を抜く水落ちの期間に入ります/水落ち期間の間に市民が集い掘と道の一斉清掃が行われます/七ツ家にある梅の木街道は満開を迎えると梅まつりが行われます/春と秋に開催されている水郷柳川ゆるり旅は、知られざる柳川の魅力がたくさん/辻門市場ではさげもんめぐり期間中巨大さげもんが展示されます


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