- 戦国時代に築城された柳川城の城下町として栄えた柳川市は、福岡県の西南部に位置し、筑後川や矢部川、沖端川、塩塚川から分流する掘割を市内を縦横にはり巡らされた水の町です。柳川城の周りを囲むように作られていた内堀や外堀は、川下りのコースとして使用され、柳川観光において重要な役割を果たしています。
- そんな水の豊かな柳川は水郷と呼ばれ、ここから北原白秋や壇一雄、長谷健など多くの文人を輩出しました。北原白秋は絶筆となった水の構図で「水郷柳河こそは、我が生れの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母體である」と表するほど柳川をこよなく愛しました。
- また、有明海に面しており、漁や海苔の養殖が盛んです。干拓で形成された堤防沿いの土地にはのどかな田園風景が広がり、米、ナス、苺、いちじくなど、さまざまな農産物も盛んに栽培されています。
- 旧柳川市の南東に位置する大和町は、そのほとんどが7世紀ころから続く干拓事業により形成されてきた町です。その広大な土地ではいちごやなす、米などの農業や、隣接する有明海では海苔の養殖や漁が盛んに行われています。
- 矢部川の河口付近に位置する港町、中島ではそれらの新鮮な幸や、地元や近隣で採れた山の幸などが並ぶ中島朝市が開かれ、その歴史は江戸時代にまで遡ります。大和干拓の南端には全国で唯一の競艇学校「やまと学校」があります。
- 旧柳川市の北に位置する三橋町は、御前橋、御仁橋、と三つ目の橋・御三橋があることから三橋町との名前がつきました。この橋は、柳川城を出た柳川藩主立花宗茂とその一行が、盟友加藤清正の使えの者17,8名に丁重に迎えられたという歴史のある橋。また、西鉄柳川駅が位置しているのも三橋町で、かつてより柳川の玄関口として多くの観光客を迎えていました。立花宗茂公、戸次道雪公、宗茂公の正室・誾千代姫の三神を祀った三柱神社もあり、昔から旧柳川市との関係が深い町です。
- 以前より境界を越え、相互に連携、協力してきた旧柳川市と、旧大和町、旧三橋町。昭和39年の広域行政研究連絡協議会の発足に始まった合併案は40年代、50年代と幾度も議論が起こりましたが、実現には至りませんでした。平成11年に旧建設庁から「次世代の地域づくりモデル的実践」の指定を受けたことにより計画は進み、平成17年、ついに合併は実現し、人口約7万人、市域面積76.9kmの新しい柳川市が誕生しました。都市基盤の充実、産業連携、人口減少や少子高齢化、コミュニティによるまちづくり活動、水路の活用など、さまざまな課題に取り組んでいます。
- そして、2015年は柳川市合併10周年目を迎えます。
- 北原白秋の生誕130周年とも重なり、北原白秋とゆかりのある地から市長や町長を招く「白秋サミット」や、合併の記念日となる3月21日には、記念式典が、翌日には「柳川おもてなし健康マラソン」が開催され、合併10周年を盛大に迎えます。
柳川おでかけWeb
表紙スライドショーの写真のご紹介
1月・睦月
冬本番を迎え、掘割沿いの景色も冬仕様に。
掘割が町を縦横に巡る光景が柳川の風景/三柱神社には初詣に多くの参拝客が訪れます/1月に市内各地で行われる伝統のほんげんきょうは迫力があります/毎年1月25日の白秋の誕生日には、母校矢留小学校の鼓笛隊演奏が/さげもんの展示即売会では、個性あるさげもんがたくさん吊るされ会場も賑やかに/日吉神社のおたふく面は笑顔で参拝客を迎えます/冬本番でもこたつ舟は暖かく川下りを楽しめます/市内学校の敷地内にある柳川城址は、へそくり山と呼ばれ今も親しまれています