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  •  川下りの終着点にほど近い、「柳川藩主立花邸 御花」。
  •  元文3年(1738)、柳川藩五代藩主、立花貞俶公が柳川城の南西隅に、二の丸から建物を移築します。政務を司る柳川城とは別に建てられた藩主家の屋敷御花畠。これが、今の御花であり、庭とともに「立花氏庭園」として、国の名勝に指定された空間です。
  •  100畳の大広間の開け放たれた窓が切り取る黒松と赤松の緑。
  •  座敷から眺める座観式の庭園「松濤園」は、約280本の黒松に1500個の庭石、石灯籠14基が配され、2つの島と多数の岩島が浮かぶ水面には、冬に飛来する野鴨が群れ遊びます。
  •  その大広間からみえる庭の風景は、格別なものがあります。


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  •  元和6年(1620)から幕末の永きに亘り、この地を治めた立花家。「立花家史料館」には、歴代藩主の甲冑に、華やかな婚礼調度や藩主夫人の装束・装身具、そして藩主愛用の茶道具、能面・能装束など、立花家の歴史を彩る大名道具の数々が展示されています。
  •  中でも、江戸中期より受け継がれる代々の雛人形とその調度の数々には、本物と変わらぬ繊細な細工と種類の多さに感嘆の声があがります。小さな小さなお道具にほどこされた蒔絵、1センチほどの大きさの百人一首の札にかかれた絵と文字。
  •  それらを使って遊んでいた歴代のお姫様の暮らしに思いを馳せる、楽しみ多い史料館です。

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  •  現在の「柳川御花」のところを、江戸時代、「集景亭」と呼んでいた時期がありました。柳川藩学の祖と呼ばれる安東省菴が、そこに見える風景を八つの漢詩にしたためたことから、『集景亭八景』と呼ばれています。
  •  八景の内容は、「柳城朝暾(りゅうじょうちょうとん)」「坂本暁鐘(さかもとぎょうしょう)」「沖端返照(おきのはたへんしょう)」「吉富暮藹(よしとみぼあい)」「宮永落雁(みやながらくがん)」「雲泉残雪(うんぜんざんせつ)」「黒崎晴嵐(くろさきせいらん)」「清水秋月(きよみずしゅうげつ)」。
  •  柳城は柳川城、坂本は坂本町、沖端は沖端町、吉富は吉富町、宮永は宮永町、雲泉は長崎の雲仙岳です。「朝暾」は朝の太陽、「暁」は夜明けの事。「残雪」は雲仙の山頂付近に残る雪で、「秋月」は清水山の上に冴え渡る中秋の名月の事。「返照」は夕日や朝日が照り返す風景、「暮藹」は夕焼けの風景、「晴嵐」は晴れ渡る日に吹きわたる山風の事。
  •  今、レストランから見える平成23年に名勝として追加指定された「東庭園」は、かつての大名庭園です。稲荷神社跡から南に進むと小高い丘があり、鳥居には「三柱神社」と書かれています。3キロほど離れたところにある初代藩主立花宗茂・その義父戸次道雪、道雪の娘で宗茂の妻である誾千代(ぎんちよ)が祀られた三柱神社の分祀。
  •  立花氏庭園でゆったりとした時を過ごしながら、大名文化とその藩主の思いにふれる散歩道です。


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柳川おでかけWeb
表紙スライドショーの写真のご紹介

9月・長月
名勝・立花氏庭園を中心に、歴史を感じられる柳川の風景です。

大広間から眺める松濤園は、心を和ませます。/柳川の代表的観光名所のひとつ柳川御花の西洋館。/立花家史料館は、立花家に伝わる多くのお宝が展示されています。/農業も盛んな柳川、間もなく実りの秋を迎えます。/柳川の農業普及にも尽力した立花家。資料として描かれた農産物の本は、芸術品としても楽しめます。/多くの黒松が植えられている松濤園/史料館には愛らしいコレクションも多く展示されています。/柳川の代表的風景の並倉と萩の花と飛行機雲


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